由緒
出石神社は、兵庫県豊岡市出石町宮内に鎮座する、但馬国を代表する古社です。創建年代は定かではありませんが、社伝では、新羅(しらぎ、古代の朝鮮半島にあった国)の王子であったと伝わる天日槍命が日本に将来した八種の神宝を、その子孫にあたる一族がこの地に祀ったことに始まるとされています。
確実な文献上の初見は、奈良時代の天平9年(737年)に作成された但馬国正税帳で、当時すでに但馬国を代表する大社であったことがうかがえます。延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳には「伊豆志坐神社八座 並名神大」として記載され、八座すべてが名神大社に列せられるという、全国でも屈指の格式を誇りました。鎌倉時代の弘安8年(1285年)に作成された『但馬国大田文』には、当時の社領が141町余りに及び、但馬国内で二宮・三宮とされる神社の社領を大きく上回っていたと記録されており、中世を通じて但馬随一の社格を保ち続けていたことが分かります。
戦国時代には、永正元年(1504年)に山名氏の内紛に伴う兵火で焼失し、大永5年(1525年)頃に再建されましたが、天正8年(1580年)の豊臣秀吉による但馬平定の際には社領を大きく削られるなど、たびたび戦乱の影響を受けました。江戸時代に入ると出石藩主の崇敬のもとで再興が進み、明治以降の近代社格制度では国幣中社に列せられています。明治43年(1910年)の火災で社殿を焼失しましたが、大正3年(1914年)に再建されたのが現在の社殿で、国の登録有形文化財に指定されています。境内には、南北朝時代の刀工・国光作とされる脇指(国指定重要文化財)も伝えられています。
ご祭神と天日槍伝説
出石神社の祭神は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)と伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ、天日槍が将来した八種の神宝の神霊)の二柱です。
天日槍は、『古事記』と『日本書紀』の双方に記録が残る、数少ない「渡来系の神」です。伝承によれば、天日槍は新羅国の王子でしたが、日本に住むという妻を追って海を渡り、最終的に但馬国に定住しました。日本書紀には、天日槍が珠・鏡・剣・熊の神籠(ひもろぎ)など複数の宝物を携えて渡来したことが記され、また須恵器(すえき)づくりの技術者を伴っていたとも伝えられています。
但馬地方には、天日槍が開拓の神として、当時泥海のような状態であった豊岡盆地の水を、津居山(円山川河口)の瀬戸を切り開いて日本海へと流し出し、現在のような肥沃な平野に変えたという独自の伝承が広く残っています。この伝説から、天日槍は但馬国を切り開いた「但馬開発の祖神」として崇敬され、出石神社は土木・工事関係者からの信仰を特に集めています。また、新羅から海を渡ってきた王子が日本古代史に明確な足跡を残しているという点で、この伝承は古代日本と朝鮮半島との交流を伝える、数少ない具体的な記録としても注目されています。
但馬国一宮としての格式
出石神社は、但馬国の一宮として古くから「いっきゅうさん」の愛称で親しまれてきました。前述のとおり、『延喜式』神名帳では八座すべてが名神大社に列せられ、鎌倉時代の『但馬国大田文』でも二宮・三宮を大きく上回る社領を有していたことが記録されるなど、中世を通じて但馬国内で最高の社格を保ち続けてきたことが文献上確認できます。
出石の城下町との関わり
出石神社は、「但馬の小京都」とも呼ばれる出石の城下町から北西に位置し、同じく但馬開発の祖神である天日槍を祀る、出石の精神的な中心として地域の人々から篤く崇敬されてきました。出石の城下町は、辰鼓楼(しんころう、明治時代に建てられた時計台)や出石城跡、碁盤目状の町割りなど、江戸時代の面影を色濃く残すことで知られ、名物の出石皿そばを目当てに多くの観光客が訪れます。出石神社への参拝は、こうした城下町散策とあわせて計画するのがおすすめです。
見どころ
大正3年(1914年)に再建された本殿・拝殿は、重厚な木造建築として国の登録有形文化財に指定されています。境内には、南北朝時代の刀工・国光の作と伝わる脇指(国指定重要文化財)も伝来しており、但馬屈指の古社にふさわしい格式を感じさせます。また境内の一角には、古来「一木一草たりとも伐ってはならない」と伝わる禁足地があり、今なお手つかずの社叢が守られています。
年中行事・お祭り
- 例大祭(10月20日):出石神社で最も重要な年中行事。但馬開発の祖神である天日槍命・伊豆志八前大神に、一年の実りと氏子・崇敬者の繁栄への感謝を捧げます。
- 幟まわし(5月5日):子どもの健やかな成長を祈願する伝統行事。緑色の装束をまとった保存会の人々が竹法螺(たけぼら)を吹き鳴らしながら、大きな幟を立てて境内を練り歩きます。
- 初詣(1月):但馬国一宮として、また子宝・安産・工事安全のご利益で知られるパワースポットとして、正月三が日には多くの参拝者で賑わいます。
参拝のポイント
境内参拝は自由ですが、御朱印やお守りを受けられる社務所の受付は9:00〜16:30です。最寄り駅はJR豊岡駅または江原駅で、いずれも全但バス(出石行き)で「鳥居」バス停まで行き、徒歩約7分です。車で参拝する場合は一の鳥居前に無料駐車場(10台前後)がありますが、冬季は積雪が多いためタイヤチェーン等の備えがあると安心です。出石の城下町からは少し離れた立地のため、城下町散策とあわせて半日程度の時間を見て訪れるのがおすすめです。
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よくある質問
- Q. 出石神社の御朱印はいただけますか?
- A. はい、拝殿向かって左手の社務所にて9:00〜16:30の受付で、初穂料300円でいただけます。書置きの御朱印には、豊岡市で保護・繁殖が進められているコウノトリがあしらわれたものも用意されています。
- Q. 参拝時間と駐車場について教えてください
- A. 境内参拝は自由ですが、御朱印やお守りを受けられる社務所の受付は9:00〜16:30です。一の鳥居前に参拝者用の無料駐車場があり、10台前後駐車できます。冬季は積雪が多いため、車で参拝する場合はタイヤチェーンなどの備えがあると安心です。
- Q. 最寄り駅からのアクセス方法は?
- A. JR山陰本線「豊岡駅」または「江原駅」から全但バス(出石行き)に乗車し、「鳥居」バス停で下車後、徒歩約7分です。豊岡駅からのバス所要時間は約20〜25分です。車の場合は舞鶴若狭自動車道「福知山IC」から国道9号・426号経由で約40km、所要時間約50分です。
- Q. 出石神社は但馬国一宮なのですか?
- A. はい、出石神社は但馬国の一宮とされる神社です。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳には「伊豆志坐神社八座 並名神大」として名神大社に列せられたことが記され、弘安8年(1285年)の『但馬国大田文』には、当時の社領が141町余りに及び、但馬国内の二宮・三宮を大きく上回っていたと記録されています。
- Q. ご祭神と、天日槍伝説について教えてください
- A. ご祭神は、新羅(しらぎ、古代朝鮮半島の国)の王子であったと伝わる天日槍命(あめのひぼこのみこと)と、天日槍が将来したとされる八種の神宝の神霊である伊豆志八前大神(いずしやまえのおおかみ)です。『古事記』『日本書紀』には、天日槍が海を渡って日本にやってきて、最終的に但馬国にたどり着いたことが記されており、但馬では、泥海であった盆地の水を切り開いて日本海に流し、肥沃な土地に変えたという国土開発の伝承が広く伝わっています。工事安全・子宝・安産などのご利益で知られ、土木関係者からの崇敬も集めています。



